紙屋町さくらホテルと私と演劇と生き方と(以下省略)

 昨日、こまつ座の「紙屋町さくらホテル」を観た。
 座席から立ち上がるのが嫌になるくらい感動した。
 涙が止まらなかった。
 拍手をやめたくなかった。
 永遠に劇場にいて、劇を観た感動に浸っていたかった。
 劇を観るって素晴らしいことなんですよ、と世界中に声を出して叫びたい。
 そんな、気持ちにさせられる素晴らしい舞台だった。

 昭和20年、広島。
 移動演劇隊(戦争に対する士気をあげるため政府によって結成された演劇隊)の宿泊する宿舎でドラマが展開される。
 ひょんなことから、軍人、特高警察、学者、日系アメリカ人等、様々な立場の人々が数日後の本番の舞台に向けて、稽古をすることになる。
 新劇の有名俳優、丸山定夫を中心に舞台稽古がはじめられる。
 立場の違いから起きるぶつかり合い。
 また、演劇にはまったく素人の隊員の混乱と格闘。
 度重なる空襲警報。
 いつ死が訪れるか分からない状況下、隊員たちは演劇の魅力にとりつかれ、心をひとつにしていく。
 
 戦争責任、原爆、演劇とは、生き方とは、と考えさせられるテーマがてんこもり。
 それでも、お腹いっぱいにならない計算された脚本(井上ひさし 作)が本当に素晴らしい。
 出演した俳優さんも皆良かったが、なかでも丸山定夫役の木場勝巳さんが本当に素晴らしかった。
 あらためて「言葉の持つ力」というものを考えさせられる素晴らしい演技だった。

 たとえば、緊張してあがってしまった俳優に対してこう唱えよと言う。
「どんな晩でも少なくとも一人、生まれて初めて芝居というものを観て、そのために人生に対して新しい考え方を持つようになる人が劇場のどこかに座っている。その人のために全力を尽くせ、上がってなどいられない」
 この数行の台詞に感動して、涙が溢れた。
 台詞の内容も素晴らしいが、演じている木場さんの言葉に本当に力を感じた。

 もう、録音して100回くらい聞きたいと思った。
 許されないが。
  
 みんなに観て欲しいと心から思える演劇だった。



 と、ここまで、まったく初めて「紙屋町さくらホテル」を観たかのように書いたが、実は、私はこの芝居をよく知っている。
 以前行っていた養成所の研究発表会でやったことがあるからだ。
 しかし、そのことを昨日一緒に行った日野さんや勝木さんや岩崎君に言えなかった。
 言おうとすると、体が固まり、唇が震え、言葉が出なくなる。
 吐き気すらもよおす。
 なぜか。
 私は、この舞台で自分を消したいくらいの失敗をしたと思っているからだ。
 こんなことを言うのはもしかしたら、共演した人や観に来てくれた人にとても失礼なことかもしれない。
 本当に申し訳ない。 

 嫌な自分を消すことは自分自身を否定することで、決してやってはいけないことだとは分かっているが。
 
 
 この演目をやることに決まった私は0泊2日で広島に行った。
 (夜行バスで行ってその日のうちに夜行バスで帰ってくる)
 広島をそして原爆を自分の肌で感じなければ、この演劇はできないような気がしたからだ。
 「さくら隊」の碑の前で、私は脚本の台詞を読み(ものすごい下手)、この演劇をやりとげる固い決意を誓った。
 よく、丸山定夫さんが「頼むからやめてくれ」と出てこなかったなと思う。
 
 稽古も、自分の持てる限りの力を出し切ったと思う。
 毎日、終わっても遅くまでどうしたらもっと良くなるか、共演者たちと話し合った。
 「紙屋町さくらホテル」の初演のビデオも何度も観た。
 資料もたくさん読んだ。
 誰よりも早く稽古場に入り、自分の身も心も削ってぎりぎりの状態で稽古に参加した。

 しかし、なぜか私の心はどんどん固くなって、だんだん反応しなくなった。
 台詞を言っても言っても嘘を言っているような空虚さにとらわれる。
 苦しくてたまらない。
 ひとつひとつにある時は感動し、ある時は涙する、そんな心の自由さがどんどん削られていった。

 
 思えば、「書かれている台詞を理解し言う」そんな当たり前のことがまったくできなかったように思う。
 何か、きれいに見せようと取り繕い、ない技術でごまかすことばかりを考えていたように思う。

 「紙屋町・・・」の脚本の中にこんな台詞がある。

「わたしたちは詩人の言葉、つまり劇作家の言葉を借りて、それぞれ自分のこころを表現するのですから、それぞれ、演技がちがってきて当然ですね。そして、それを俳優の個性と呼ぶのです」
 私は様々なことを通して、「自分のこころ」が「自分の容姿」が「自分自身」がとてもつまらないもののように思い、自分に自信がなくなった。


 だから、それを表現しようとせず、どこかの「素晴らしいこころ」、ようするに絶対存在しないものを一生懸命追い求めて表現しようとしていたような気がする。
 答えは全部戯曲の中にあったのに。 
 
 もう、同じ過ちを繰り返したくない。
 あのころの自分を抱きしめるにはまだ、時間がかかる。
 少なくとも今は、舞台で「自分のこころ」を表現できるよう、精一杯、勉強したいと思う。 

 最後に丸山定夫の台詞。
「人間の中でも宝石のような人たちが俳優になるんです。なぜならこころが宝石のようにきれいで、ピカピカに輝いている者でないかぎり、すなおに人のこころの中に入っていって、その人そのものになりきることができないからです」