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「タイタス・アンドロニカス」無事千秋楽を迎えました。
観に来てくださったお客様、また、来ようと思ったけれど来られなかった方々も含めて本当にありがとうございました。
遠方ゆえ、行きたいけど行けない、次回は是非、とおっしゃってくださる方も多く残念な反面、ありがたくもありました。
おかげさまで、大きな事故もなく顔合わせのメンバーで最後まで乗り切ることができました。
千秋楽の舞台は大変素晴らしいできだったようだ。
私のピアノ以外。
正直、自分ではやっと千秋楽にて劇中に弾くピアノの意味が分ったと思いながら、大変気持ちよく弾いていたので終演後「なんだあのピアノは」と彩乃木さんに言われたときは、驚愕で心臓が止まるかと思った。
一音、一音もっと心をこめて、と思っていたら、その分テンポ感が出ていなかったようだ。
芝居でもなんでも、自分がいいと思っている時は大抵は駄目だ。
独りよがりで、客観的な目が乏しくなっている。
また打ち上げでも言われ、昨日は打ち上げの席でみんなの前でそんなことを言うなんてと随分恨んだものだが、今になって冷静に考えるとどのような状況でも「駄目なものは駄目」とはっきり言ってもらえたほうがありがたいように感じる。
とは言いつつも今回「あのピアノは駄目」と言われて、なぜ駄目なのか自分ではさっぱり分らないことが多かった。
最初の頃は、ミスタッチ(音を間違えて弾くこと)が多いと言われても、懸命に弾いていて自分の音が聞こえていないので、「え?いつ間違えたっけ」と思う。
私にはセンスと才能とリズム感がない。
あら・・・何もない。
「何の取り得もないのか」と言われ「ありません」と自信を持って答えてしまった・・・
大体においてピアノはお嬢様の芸事、趣味程度にしか習ったことがないので、こんなプロの舞台で弾かせてもらえるのはうれしい反面、荷が重かった。
もっと盛り上げてと言われると大きな音は出せるが、それは「もっとちゃんと台詞を言え」と言われて大声で「がなる」だけなのと同じ状態になっていたのだろう。
私がもし、プロのピアニストならもう金輪際仕事がないだろう。
プロになるには、一日8時間の稽古をしてもなれるかどうか、それでも無理なのでは・・・というレベルだ。
正直、昨日は自分で今のピアノが、「良い、悪い」が分らないのだから、弾いていても仕方がない、もう一切ピアノには触れないでおこうと考えていた。
いや、ピアノだけじゃなく、俳優としても自分の演技のよしあしが分らない、脚本を書くにもそのよしあしが自分ではたぶん分らないのだろう。
この決定的なセンスのなさ。
こんな人が芸術活動をやっていきたいと考えるのは本当に迷惑ではないかと考えていた。
いや、やるのは勝手かもしれないが、確実に成功しないだろう。
そもそも芝居は一人でできるものではないので、一緒にやる人は甚だ迷惑だ。
しかし、「みんないろいろ悔しい思いを何度も何度も繰り返して、成長しているんだよ」と言われた菊地先生のお言葉がありがたかった。
みんな最初は一体何がいいのか、分らない時期だってあったんじゃないか。
いや、正解のない世界、今でもどんなベテランでも永遠に答えを探し続けているのだ。
今回、失敗して迷惑をかけてしまったことは本当に申し訳ないと思う。
それでも、だからこそ、自分は答えを探していきたいし、その資格はあると思いたい。
それが、もうやめてしまうよりも今回の謝罪にもなるのではないか。
公演が終わったとたん、風邪をひいてしまった。
ほっとした反面、二度と一緒にやることのない客演メンバーに会えなくなるのは大変さびしい。
非常に協力的で大変いい人たちだった。
おまけにみんな美青年だった。
また、今後のASCの研究生たちにも大きな課題を残した公演でもあった。
ブログでどこまで書いていいのか分らないが、明日は今後のASCについて問題に思っていると、今、考えていることを書きたい。