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話していることを本当にそう思っているのか?
台詞に書かれている言葉を、浅はかにもついそのままその言葉どおり表現しがちになる。
そのたびに、一歩立ち止まらなければならない。
「タイタス・アンドロニカス」には残忍な行為をする人物が数多く登場する。
ラヴィニアを強姦するカイロンとディミートリアス兄弟。
強姦し、舌を切った後「その舌でものが言えるなら言ってみろ」
とからかう。
これでもかとひたすら、悪事の限りを尽くすアーロン。
しかし、アーロンは自分の子供ができた途端、なんだかかわいらしい。
自分の子供を守ろうとする。
捕らわれたアーロンはこう言う。
「いまおれが本心から残念に思うことはただひとつ、何千何万って悪事をこれでやれなくなるってことだ」
言葉がそのまま本心なのか。
私たちはいつでも思っていることをしゃべっているのだろうか。
書かれた人物を演じるのは、自らをふりかえる作業ともなる。
芝居をやっていない人の芝居にたいするイメージはどういうものなのだろうか。
よく言われるのは「台詞を覚えるのが大変そう・・・」
ピアノの発表会じゃないんだから・・・
しかし、うちの母はなぜかやたら、衣装にお金がかかるのではないか、ということを気にする。
蜷川さん演出の「タイタス」のDVDを一緒に観たからだろうか・・・
確かにあれは大変そうだ。
でも、恐らくあれは自前ではないと思うのだが・・・
あまりにもうるさいので「小島よしおさんのような衣装だからお金はかからない。大丈夫だ」と言ったらえらい怒られた。(本当はまだ未定です)
なんかもっと深いところで興味を持ってもらえるようなものにしたい。