■
「タイタス・アンドロニカス」の初日の稽古場にあった大きな書道作品が外に展示されているというので、稽古の始まる前に見に行った。
工場のある場所の広い壁にぽつんとひとつ展示されていた。
まだまだこれからほかの作品も展示していくという。
いつか、広い壁一体が芸術作品でいっぱいになる。
ああ、この町はこれから芸術のある町にどんどん発展していくんだ。
工場と書道。
それすらがすでに芸術だ。
すごい。
その一角で「タイタス・アンドロニカス」を上演し、この町の芸術の一端を担う。
正直、最初に川崎でやると聞いたとき、不安なことが多かった。
家から遠く不便な稽古場に毎日通わなければならない。
みんなきてくれるのかしら。
「タイタス〜」のあのパイはどうなるのかしら。(何のことやらわからない人は原作で確かめてください)
今はわくわくすることでいっぱいだ。
もう、みんなもこれを読んで川崎ファクトリーで「タイタス〜」が観たくてたまらなくなっているに違いない。
「ほかの人がどう思うかわからないので自信がない」
私にはよくこう思う癖がある。
自分が面白いと思ったことに自信がない。
だから、たとえ自分が書いた台本でもたとえ100人の人が「面白い」と言ってくれても、一人が「なんだこれ」というとものすごく不安になる。
面白いと思ったときそれがなぜかが説明できない。
「面白いと思ったことを否定するのは、自分を殺すことだ」
と彩乃木さんに言われた。
なんでこんなに自分に自信がないのか。
今まで、否定され続けてきたから?
映画もハリウッド大作より単館上演のしかも、レイトショーでしかやってなかったりするような作品が好きだ。
そんなんだから、話が合う人もなかなかいない。
「なんかあなた変だよね」「ちょっと、考えていることがわからない、理解できない」といわれ続けてきた。
しかし、それはよく考えてみれば芸術を志すものとしては最高の賛辞なのではないか。
大多数の人が思いもつかないことをやってのける可能性があるのだから。
川崎ファクトリーの近くに飾られた書道作品は今まで見たどんな立派な美術館に飾られた作品よりも堂々としていた。
これからどうなるんだろう。
この周りはどうなっていくんだろう。
ああ・・・
わくわくする・・・
自分もそんなものが作り出せる存在になりたい。
今日でASC研究生だけの「タイタス・アンドロニカス」4日日間のプレリハが終わった。
かつてない厳しさだった。
かえってきちんと栄養と睡眠を取らねばと、これほど意識したことはない。
自分の残酷な感情に向き合う。
今回はこの作品の中でもっとも残虐な兄弟二人の役を「女」がやる。
「女」が「男」の役をやって「女」の残虐性を表現する。
プレリハ中、研究生の女性ほとんどがこの役に挑戦した。
面白そう、やりたいと思ったのに自分の中の残虐性を見つける作業は、想像以上に大変なことだった。
心も体もあざだらけ。
しかし、最大限の自分を使おうとした体験は強烈だった。
この4日間、よく戦った。
駄目な部分もたくさん見えた。
今まで否定してきたが、ぎりぎりの状況に置かれたせいかそれも含めて「今の自分」だと受け入れることができた。
これからも戦いだ。
にょろお・・・!!!!