マクベス〜あらがえない運命〜
先日「子供のためのシェイクスピア」シリーズ、「マクベス」を観る。
彩乃木さんが出演されている。
「ヴェニスの商人」等で客演をしてくださった戸谷昌弘さんも出演されている。
おなじみの黒い衣装(黒コート)で、全員が出てきて一人がばっ!!と衣装を脱いだ瞬間にその役になるのがかっこいい。
出演者八人全員がほとんどでずっぱりで、様々な役になって、表に出てないときは裏でも大活躍なのが素敵だ。
様々フォーメーションが変わったり、大道具の机が動かされて場面が変わったりと、わくわくする。
あ、人形もいる。
しかし、個人的には人形があまりにもみごとに出演者の一人になってしまっていて、ちょっと不満だった。
人形だから、もうちょっと違うことをしてもいいように思うのだが。
マクベスといえば、やはり一番印象的なのはマクベス夫人だと思う。
弱気な夫に王になるため王を殺すよう、強くそそのかす。
誰もがこの夫人に強い魅力を感じるのではないか。
たとえそれが悪であっても、強い力で引っ張られたい、と思うのか。
私も前はものすごくあこがれていた。
しかし、今は自分はどちらかといえばそそのかされるマクベス側のほうに悲哀と魅力を感じる。
マクベスが今まさに、殺人を犯したときの夫人の狂気が良かった。
夫人がおかしくなったときに流れる音楽(木琴のベサメ・ムーチョ)も印象深かった。
マッシュルームカットの魔女が三人出てきてちんまりと座ったときに観客にどっと笑いがおこった。
四大悲劇のひとつ「マクベス」が上演されているのに、客席は、結構、笑う気満々なのが伝わってきた。
魔女はお地蔵さんのようで、かわいらしくもあり、不気味だった。
どんなに強く戦おうとしても、魔女の予言から結局逃れることができないマクベス。
結局、人間は運命から逃れることはできないのだろうか。
しかし、マクベスが滅んだ後に、また新しい世界を作ろうとするものが現われ、そこに何か救いのようなものがあるように感じた。
決められた運命であっても、あらがったり、戦ったりするからこそ、新しい何かが生まれてくるのかもしれない、と思った。