からっぽう

 「からっぽう」(「弾丸MAMAER」作・演出・竹重洋平)という芝居を観た。
 数年前、「ジュリアス・シーザー」でご一緒させていただいた瀬川新一さんが出演されていた。
  
 会場は池袋のあうるすぽっと
 このホールは図書館が上にあり、ちょっと現実的な空間が間近にありすぎて演劇の世界に入るのが難しいと思っていたがしっかりとした長屋の具象的なセットですっと世界に溶け込んでいけた。
 バー「蠍座」のネオンが妖しくて素敵だった。

 芝居もセットも音響もしっかりとしたものだったが何か違和感が残った。
 過去と現代が交錯する設定で、現代の年老いた文生(瀬川さん)が過去に残してきた忘れ物は何かというストーリー。
 文生とその妻が中心となる。
 文生というのが実に駄目な夫で、仕事を突然やめてきてバーに入りびたりになる。
 お金は使い放題。
 近所の麻薬中毒の奥さんとも関係を持ってしまう。
 妻は当然、毎日説教するが、暴力を振るわれてしまう。
 文生は突然失踪し、妻は文生のバーの借金を払うために体まで売らなければならなくなる始末。
 それでも、帰ってきたときに文生の居場所がないと困るからとけなげに夫を待ち続ける。


 やがて、足を怪我して(車にわざとぶつかってお金をせびる当たり屋をやっていた)、テレビを持って帰ってくる文生。
 喜んで迎える妻。
 そのとき文生が妻に言えなかった言葉。
 その妻に言えなかった感謝の言葉こそが、文生が残してきたものだということで話は終わる。


 この妻は結局、一人息子を残したものの病気のため若くして死んでしまう。
 
 
 戦後間もない時代、駄目な夫に尽くして生きる妻というのはよくある話だったのだろうか。
 もちろん、今でも珍しくはないが。
 しかし、そんな生き方が美化して描かれているように感じてなんだか違和感を感じてしまった。
 バーの男たちによる力づくではあったが、妻が体まで売る羽目になったくだりがすっきりとしなかった。

 それでも、自分だけのためにテレビを買ってくれたと、ここまで愛される女はいない、と妻である「女」は言う。
 その迫力に物悲しさを感じた。