積極的劣等生

 前回の「単純な脳、複雑な私」の続きです。

 本によると、脳の動きというのは、外から情報が入ってこなくても内側だけでも活発に活動しているという。
 それは、あるときは強く、あるときは弱く、またあるときは足並みをそろえたり、ばらばらに活動したりする。
 これは脳の「ゆらぎ」というらしい。
 このせいで、同じことをしていても失敗したり成功したりということがあるという。


 では、この「ゆらぎ」が何の役に立っているかというと、例としてアリの行進があげられていた。
 アリは餌を持っているときにはフェロモンを出していて、他のアリも餌を見つけるためにそのフェロモンにそって歩くのでアリの長い行列ができる。
 しかし、たまに言うことの聞かないアリがいて、フェロモンを無視して独自の道で歩む。
 規律に従わない劣等性のアリだ。

 ところが、この劣等生のアリが他のアリの通っていた道よりも、もっと最短ルートを見つけてしまうことがあるのだ。
 フェロモンは揮発性だから蒸発し、効率の悪い遠い道を通っていたものほど道は長いので消えてしまう。
 結局この最短ルートが残り、他のアリもこの新ルートをたどっていくということになるのだ。
 脳もこれと同じだ。
 ゆらぎがおこるから、パチンコをしているときでももっといい台はないかとふと思ったりする。

 
 ゆらぎのことは「ノイズ」「雑音」と呼ばれ、あまりいいイメージでは捉えられていない。 
 しかし、この「ノイズ」が起こるからこそ変化する環境にうまく適応できたり、うまく適切な答えを見つけたりできるという。

 
 この部分を読んだとき、「そうだよ」、と思わず思った。
 優等生で周囲に従おうとするばかりじゃ駄目なんだ。
 「脳」も「人間」も。


 脳の話から自分自身と重ね合わせてしまった。 
 私自身、演劇的にはすごい劣等生なのだが、学生時代に中途半端に優等生だったのでつい優等生になろうとしてしまう。
 台本の解釈をしているときでも、つい正解を探そうとしたり、優等生的な意見を探そうとしたりする。
 同じ道を歩いてきたフェロモンを探そうとしてしまうのだ。
 しかし、アリも人間も脳も規律からでたらめな方角に行ったときほど思わぬ最短ルートが見つかるのだ。
 どんな世界でも優等生ばかりの世界では、効率が悪く駄目になる。
 思いっきり道をはずれる劣等生が必要なのだ。
 これからは、積極的に劣等生になろうと思う。
 思わぬ新ルートが見つかるかもしれないのだから。