己をさらけ出して

 私は今、ある台本に取り組んでいる。
 台本を書くということは、いや、芝居も絵も芸術表現すべてそうかもしれないが、己をすべてさらけ出すことだ。

 
 おりしも、先週NHKのテレビ番組の中で大阪の文学学校で、作家志望の学生たちが互いの作品を読みあい講評し合っていた。
「もっと、自分を出さなきゃ駄目だ」
「自分に枠を作っている」
「頭の中の落書きを、ただ見せられているよう」
 など、辛らつな評が続く。


 一人の学生は、「肉親の不幸な死」が作品を書く動機となったと言う。
 では、それをごまかさずにそのまま書くべきだ、ということに気づき、やりはじめるが、もっとも大事なところで筆が止まったままになってしまい、番組が終了してしまった。

 
 それにしても、文章を書いてしまって、結局さらされたのは己の醜い姿、ただただ自己愛の強い姿であったり、他人を傷つけることに無自覚な自分の姿であったり、ろくなことがない。
 作品を公表することによって、私一人が傷つくのならいい。
 しかし、そんなつもりで書いたのでないのに、書くことによって他の誰かを傷つけてしまうのは耐えられない。

 
 自分が愛を持って描いたつもりであっても、結果傷つけてしまうということは結局、愛がなかったということだろうか。
 ああ、自分の中にある愛・・・愛だと思っていた感情は偽りであったのか・・・
 何を信じて生きていけばいいのか・・・
 
 
 それでも、偽りの愛を本物に、書くことによって己の中の真実の愛を探していくしかない。