愛と憎しみのピアノ

 私とピアノのつきあいは長い。
 5歳くらいのときから、大学に入るくらいまで習っていた。
 その後、ブランクがあって、大学を卒業してまた始めた。

 
 しかし、私とピアノとのつきあいは失望と挫折の連続であった。
 まず、子供のころからピアノは大嫌いだった。
 幼稚園の頃、数年くらい歩けなかったので外に出られない私を心配して親がピアノを習わせた。

 
 練習は地味だし、先生は怖い。
 しかし、母は毎日、私がピアノの練習をするのを見張っていた。
 「ピアノを弾く私」が母の理想だった。
 ピアノは嫌いだが、母の理想を崩したくない。


 自分で言うのも、なんだが才能があったらしい。
 先生に専門的に勉強しないか、といわれたり、コンクールでいいところまでいったりした。


 しかし、ピアノも先生も嫌いだったので拒否した。

 
 ところが、ピアノが弾けるということで、学校では合唱の伴奏を頼まれたりする。
 NOと言えない日本人なので、引き受けはするが、嫌いなのであまり練習をしない、というかできない。
 結果、「もっと弾けると思った」と言われ、みんなを失望させる。
 ますます、ピアノが嫌いになる。
 それに、いざやる気になると「もっと弾ける人」というのがどこからともなく山のように出現するのだ。
 
 
 ところが、いざ、大学を卒業して就職を探したとき、どこの会社にも断られた。
 結構、強力な親戚のコネのあった会社にすら、落とされた。

   
 
 自分は何か技術を身につけ、資格を取ったほうがいいのかもしれない、と思った矢先に思い出されたのがピアノだった。
 ゼロから勉強するよりも、多少はやったことがあるものの資格を取ったほうがいいのでは、と考えたからだ。
 あれほど憎んだピアノを、再び自分から始めるとは思ってもみなかった。


 しかし、勉強途中、その資格は取ったところで、まったく仕事に結びつかないことを知ってしまう。
 また、その資格を取るのにどうしても必要な「即興性」というものが私には生まれもってなかった。
 挫折。


 また、あるとき、公の場所でピアノを弾くよう依頼される。
 しかし、そこで求められたのは私が今持っているよりもっと高度な演奏だった。
 私は、一日でクビになった。
 失望。

 
 ところが、憎んでいても、やはり心の奥底にピアノは存在しているのだ。
 初めて書いた台本に、もう一人の主役として登場させる。
 このとき、ようやく、自分の中でピアノという存在が報われたような気がした。


 しかし、それがきっかけで舞台でピアノを弾くことを依頼された。
 このうえなくうれしかった。
 ようやく報われたピアノ。
 やっと芽が出るのだと思った。

 
 ところがまったく弾けず、もう、トラウマになってしまった。
 自分は二度と、頼まれてもピアノを弾いてはいけない。
 いや、もうピアノに触っちゃ駄目だ。
 本気でそう思った。

 
 しかし、マラソンを経験した今だから思うのだ。
 自分にとっての「ピアノ」は何がゴールなのか。
 演奏家にはなれないだろう。
 お金をもらって弾いたり、コンクールに出たりするのは無理だろう。
 しかし、自分なりのゴールを目指すのは可能ではないか。
 マラソンは完走しても600番台だ。
 決してオリンピックに出場したりすることはできない。
 確かにオリンピックで金メダルを取ることはすごい。
 しかし、それは他人が決めた基準だ。
 私にとっては、歩かないで完走することこそ金メダル以上の価値がある。

  
 ピアノは、たとえば大好きな曲を一曲弾けるようになる、でもいいんじゃないか、と思う。
 私なりのゴールを見つけて弾きたい、と今、心から思う。


 どんなに拒否しても、絶えず私の心の中には「ピアノ」が存在する。
 それは認めよう。
 自分の中にある「ピアノ」をもっと大切にしてあげたい、そして、習わせてくれた母親にお礼がしたい。
 心からそう思う。