主人公になれる感覚
昨日は比較的元気でうろうろ行動していたのですが、今日は駄目でした。
マラソンの結構なダメージが今頃出てきています。
私の体力、能力からしてかなり無理めのマラソンに挑戦しようと思ったのは何もかも行き詰まり感があったからかもしれません。
最初は10分走っただけで駄目でした。
心臓が破れそうでした。
しかし、やろうと決めたら体が少しづつ言うことを聞いてくれるものです。
同じトレーニングジムに通っている友達に「走る姿勢がきれい」と言われました。
特に教わったわけでもないのですが、いつの間にか長く走れるように体が調節していたのだと思います。
当日までは、しかし、21キロは走れなかったので不安でした。
精神的にも、もう芝居をやめようとまで追い詰められていたので、これはもう最悪の状態でした。
書くほうもうまくいかずに行き詰っていました。
仮に走れたところで、マラソンランナーになれるわけでもなし、自分の本来の目的、本当にやりたいことが達成できなければ何の意味もないのでは、とも思っていました。
しかし、実際に走ってみて走れた今、全然違う感覚です。
同じゴールをたくさんの見知らぬ人と目指しました。
いろいろな人がいました。
こんなに大勢の人と走るという経験は初めてだったので新鮮でした。
年配の方に追い抜かれたり、ちんたら走ってる若い男を追い抜いたり、折り返しで先頭集団のスピードを目の当たりにしたり(めちゃ速い、これは無理だ)と、約2時間30分の中に小さなドラマがたくさんありました。
何より、わずかな申し込み金額で自分が主人公になれる、という経験は素晴らしかったです。
走っている誰もが主人公になれるのです。
途中、何度ももう歩こう、と思いました。
しかし、なんか歩いたら負けのような気がして、走ってるのか歩いているのか分らないような速さでしたが、何とか走り続けました。
沿道で応援してくれる人々も励みになりました。
みかんをもらいました。
走ってるだけで、全然知らない人が応援してくれるのはなんかいいです。
ゴールでは先にゴールした彩乃木さんと日野さんがいて、祝福してくれました。
棄権したとか、もともといなかったのでは、とか心配されていたようです。
確かに、なぜか途中でまったく会えなかったので。
待っててくれる人がいるのは本当にありがたいです。
東京マラソンに落選したので、考えたのが、1月25日の石垣島マラソンです。
もちろん今度はフルマラソンに挑戦しようと思います。
妹が石垣島の近くの波照間島に住んでいます。
私が行くと言えばきっと応援、手助けが得られると思ったのですが・・・
「マラソン出る」と言うと「あんたが走ってる間、マッサージにでも行ってるわ」と非協力的な返事・・・
「せめて、ゴールくらいには待っててよ」と言うと「ほんまに15時(6時間後)に戻ってくるんかいな」といまひとつ、本気にされてません。
しかし、いつものようにいざとなったら助けてくれると思います。
ハーフマラソンの後のレッスンではいつものように迷走していました。
芝居では、コースに矢印→がないので、コースアウトして走り続けてもなかなか気がつかないのです。
戯曲を書くのもそうです。
応援してくれる人も見えなくなり、周りに走っている人の姿も分かりにくいです。
意識しないと見えません。
それでも、一歩一歩走り続ければ、途中でやめなければいつかゴールすることができる、(制限時間内に・・・もう過ぎてるってことはないと信じて)と信じて走るしかありません。
何より、思ってもいなかった距離を走れた経験を信じてがんばっていきたいと思います。