ヘンリー六世 第二部〜巻き込まれる平民たち〜

 今日は「ヘンリー六世 第二部」を読む。
 
 これは解説によれば「王妃マーガレットのイギリス到着(1445年)から、(薔薇戦争の)緒戦のセント・オールバンズの戦い(1455年)でヨーク側が勝利を収めるまでの10年間が描かれている」とのこと。

 ヘンリー六世三部作を上演するというのは、日本で年末や新年に徳川家康などの時代劇を10時間くらいかけてドラマを放映するようなことなのだろうか。
 登場人物の多さ、展開の多さ、ドラマの多さ・・・こんなことまじめにやっていたら大変なことになると思うのだが、上演回数は決して多くはないがきちんと上演されていてそれなりの評価を得ている。
 ヨーク公が自分が王位を要求する権利について聞かれているくだりで、きちんとそれまでの歴史、どいうことがあったかを長々と、かなりちゃんと言ってくれているので歴史読み物としても分りやすい。


 前半で興味深かったのは、グロスター公の妻、エリナーが霊を呼び出すくだりだ。
 エリナーは夫を王にしたいという強い野心の末に行った行動だが、ことが明るみに出て追放となる。
 確かに本当に悪霊が出てきてちゃんと当たる予言をする。
 でも、まじめに取り合うのはどうなんだろう。
 こんなの証拠不十分じゃないか。
 シェイクスピアの作品には霊がよくでてきて、それが登場人物の運命を左右する。
 お国柄を感じる。
 

 後半はジャック・ケードが暴徒たちを引き連れる場面が面白い。
 ヨーク公の企みで、煉瓦職人の息子のケードが王位を主張するよう仕立て上げられる。
 平易な平民の言葉で主張を語る彼の言葉はたちまち平民の心を掴み、そして恐ろしい暴動へとつながる。
 セイ卿を殺すときのケードの心の迷いや、移ろいやすい平民たちの心、そして、空腹のために戦えずに死ぬ悲劇の最後までがきちんと描かれている。

 
 「ジュリアス・シーザー」の平民たちは、アントニーの長い台詞で心変わりをした。
 しかし、ここに描かれている暴徒は20行足らずのクリフォード卿の言葉であっという間に心変わりをしている。
「鳥の羽だってこの群集のように軽くあっちこっち飛びやしないだろう」
 と、ケードは嘆く。
 恐ろしいものだ。
 権力争いをしている貴族たちよりも、巻き込まれていく平民たちの姿のほうが興味深い。
 そこに、人間の巨大なほとばしるようなエネルギーを感じる。

 
 策略をめぐらすヨークの台詞が心に残った。
「なりたいもになれ、いまのままのおまえでいるなら死ぬほうがましだ、生きている甲斐のない身ではないか」