ぐるぐる

青年のための読書クラブ

青年のための読書クラブ

 先日、読書は人と共有できない趣味だと書いたが間違いだったように思う。
 この本の舞台は名門お嬢様学校の「読書クラブ」
 お嬢様学校に様々な理由でなじめない、異形の生徒たちが集っている。
 何をするわけでもない。
 ただ、お茶を読みながら本を読んでいるだけだ。
 だが、確実に彼女らは心の底で深いつながりを持っている。
 演劇部の生徒たちのように表だってスターになることはない。
 生徒会の生徒たちのように表立って学園の政治を動かすことはない。
 ただ、学園の片隅で読書をしている。
 それでも、彼女らは心の奥に熱いものを持っていて、その時代時代に学園の正史には決して出ない部分で学園を大きく揺るがしている。
 彼女らが明治時代の文豪のように己を「ぼく」と呼び「ねえ、君」と話しかける姿はぞくぞくするほどかっこいい。
 彼女らは少なくとも学園内では大人に頼ることなく自立し、まぶしいくらいの個性を持っている。


 それにしても面白いのがこの学園の風習だ。
 毎年一人「王子」を選ぶ。
 「女生徒たちの多くは恋愛の夢のような部分に憧れながらも、現実の男性には強い嫌悪感を抱いていた。彼らからはやはり、異臭がしたからである。
(中略)そのため年頃の、抑圧された性欲を抱える女ばかりの楽園には、捌け口となる、安全で華やかなスターが必要であった。」

 それにしても、女子高のストーリーというのはどうしこう淫靡であやうい魅力があるのだろうか。
 女性として成長する一歩手前の未熟さが美しく描かれるからに違いない。


 私は実際女子高出身であるが、実際には「あやうい魅力」などはまったくない。
 未熟な部分はただただ恐ろしいくらいに醜いだけだ。
 彼女らは、何かあせったように年上の男(大学生くらい)と合コンをし、あせったように性体験をすませてしまう。
 見えない何かよりも優位に立つために。

 
 読書の話に戻ろう。
 先日、とあるところで小学校の先生をやっている女性に出会った。
 彼女は本好きで自分の子供のために、そして子供が大きくなったら学校に寄付できるからと家に「床が抜けそうなくらい」絵本があると言う。
 床が抜けそうなくらいの本の中で育つ子供・・・なんかものすごくいい。
 会ったこともないその子たちを思い浮かべて、何か深いつながりを感じた。
   
    
 ぜんぜん関係ない話ばかり書いているがこういう本の感想は自主公演「アンダンテ」とどこかでつながっているんです。
 たぶん。
  
 
 最近夏バテでした。
 なぜかクーラーのリモコンが見つからず、リモコンを探しているうちに体が熱くなってばててしまうという馬鹿馬鹿しいことを繰りかえしていました。
 今、部屋はきれいになる一歩前の過渡期です。
 だから非常に混乱しています。 
 でも、これはきれいになる前の一時なんです。

 
 さっきコンビニに行くとコンビニのお兄さんとおじいさんが話していました。
 おじいさんが同じまんじゅうを3つ持っていて
「これを全部食べると駄目かなあ」
 と言っているとお兄さんが
「食べたいときに食べないと人生楽しくないですよ」
 と言っていました。
 なんかお兄さんのほうが人生悟っている風なのが面白かったです。
 それにしても東京は他人に無関心な孤独の街だと言いますが、近所で少しづつお店の人などで親しい人が増えています。
 といっても買い物に行ったときに話すくらいですが。
 なんかそういうのっていいなあと思います。