全否定!!!
先日、お伝えしたように「オセロー」の後、9月1日、2日に、ASC若手自主公演「アンダンテ」を堂々上演予定である。
この台本は私が書かせて頂いている。
もちろん、オリジナルで上演までには幾度も推敲が必要だ。
彩乃木先生、ASCメンバー、そしてプロの作家、大和屋かほるさんに見て頂きさまざまな意見を頂いている。
まだまだ未完成な台本ではあるが、形は見えてきた。
ここで、ASCのもう一人の師、菊地先生に見て頂き、今後、書き直す際のアドバイスを頂こうと考えた。
台本をお渡して、どきどきしながら待つこと数日、帰ってきた返事はなんと「全否定」であった。
まず一言目「自分なら絶対に演出したくない」。
ひどい衝撃を受ける。
その理由として、「自分は登場人物が一生懸命生きている作品を演出したい」
とのこと。
その瞬間、菊地先生の演出された「走れメロス」が頭の中を走馬灯のようにかけめぐる。
確かに・・・メロスは一生懸命生きている。
しかし、たとえあこがれても、誰もがメロスと同じような生き方はできないのではないか。
それでも「一歩、一歩、歩く速さで不器用ながらも生きている姿」を「アンダンテ」で描きたかったのだが・・・
まったく伝わらなかったようだ。
いや、もしかしたら自分の「生き方」に一生懸命さがないのではないか、などと人生まで反省し始める。
また、10年以上シェイクスピアを上演してきたASCがこの台本(一生懸命じゃない人ばかり出てる、台本自体も未熟)をやる意味が分からないと言われる。
他にもいろいろ言われたがすべて「否定」の言葉であった。
「書いてみた」というのは評価するが・・・
とオリンピックのようなことを言われる。
自分の台本がどれほど未熟なのかをあらためて思い知らされ、またあらためて目指す到達点の高さを目の前にして呆然としてしまった。
しかし、もはやプロジェクトは動き始めている。
私がしおれたら、みんなもしおれてしまう。
私はもう一度、自分の書いた言葉、一言一言が「懸命に生きている自分」が全力で書いているのか検証しながら再び書くより他はあるまい。
コピーライターの人はポスターの「一言」を考えるために血尿を出していると聞いたことがある。
自分はまだ、「一言」を考えるためにまだ何ひとつ苦しんでいないのかもしれない。
私の台本は、現代のごく普通の家庭の、普通の姉妹の話だ。
シェイクスピアを上演してきたASCの若手が今、この台本をやる意味。
あらためて、じっくり考えたい。
受けた衝撃は大きい。
しかし、菊地先生は私の台本に、全力で講評をくださったのは事実だ。
(講評をくれる人はありがたいことに、みんな全力すぎて、私のほうがまいってしまいそうだ・・・)
これほどありがたいことはない。
なら、受けて立とうではないか。
九月の公演のため、ぎりぎりまでの死力を尽くそうではないか。
今回言われたことはあらためて覚悟を決めるいい刺激になった。
これからの、私の「蘇り(よみがえり)」を見ていてください。
期待を裏切りませんよ。