気力不十分
- 作者: 角田光代
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/06/28
- メディア: 単行本
- クリック: 9回
- この商品を含むブログ (87件) を見る
人間なら誰しも、毎日ご飯がおいしく、さわやかで、出会う人々が全て愛しく、気力のあふれた毎日を送れることを望むだろう。
しかし、なかなか現実はそうはいかない。
ここ数日、やたらリアルな夢を見る日々が続いた。
最初はアルバイトをしている夢だった。
メンバーもいつもよく会うメンバーでごく普通に働いているのだ。(カフェ)
特にトラブルもなく
「ブレンド(コーヒー)お願いします」
「グレープ(ジュース)出します」
などと言っている。
目を覚ますと、あ、仕事が途中だったと思って再び寝ようとした。
すぐに自分の寝ぼけに気づき、そのまま支度をしてカフェに行った。
こうなると、寝ているときからずっと働いているようで嫌である。
その日から背中がやたら、重い。
次の日は歌詞を覚えてないのに歌わなければならなかったり、など神経を使うような夢ばかり見る。
寝ているのに、すごいストレスだ。
そんなこんなで再び太りだした。
どうしよう、こんなに太ったらビキニなど夢のまた夢だ・・・
そんなとき「ドラママチ」という本を読んだ。
以前も書いたことのある角田光代さんの本だ。
中央線沿線を舞台に、さまざまな立場の女たちの「待つ」心理が描かれた連作になっている。
「待つ」といえば、「ソルヴェーグの歌」というのを思い出した。
うろ覚えだが、確かこういう内容だった。
若い頃愛した男がどこかに放浪してしまい、帰ってくるのをずっと待っている女の人の歌だ。
やっと、男が帰ってきたのは、女が白髪にるほど年月が経ったとき。
女は帰ってきた男の前で死ぬのだ。
哀れよのう・・・
男女平等、フェミニズムの昨今でもやはり女は「待つ」生き物なのだろうか。
この本の中で一番こたえたのは「ヤルキマチ」という章だ。
「私」はナカニシさんという既婚者とつきあっているが、彼が妻と別れて自分と一緒になってくれるのを待っている。七年間も!
その間、どんどん気力を失い、もう選ぶのも面倒なので食事はカップラーメンで済ますような生活。
都合6キロ太り、やたら人を見下したいという願望に襲われる。
人を見下すときだけ、生き生きとしそれ以外はまったく生気のない生活を送る。
「私」は「やる気」がおきるのを待っている。
「待つ」間にあぶりだされていく、人間の本性。
待っているから出てきたのか、それとももともと備わっていたものなのか。
なんにせよ「待つ」という行為は、歌のようには美しくない行為なのかもしれない。
それにしても角田光代さんの書く男の人は、なんだそれと思う人ばかりだ。
ナカニシさんは「私」の友人がウインナ中年と呼ぶような体格の持ち主だ。
引用すると、
「ナカニシさんは頭がちいさくて、手足が細長くて、体幹部だけ太っている。それが切れてないウインナみたいだとまりっぺは言うのだ」
ナカニシさんは「妻の体調」や娘を理由に、なかなか離婚してくれない。
しかし、お風呂場を洗ってくれるし、太ったことには気づかないふりをしてくれる。
「待たせていること」への謝罪のつもりなのか?
この著者の書く男は「もう、そんな男いいじゃん」と思うような人ばかりだ。
そんな本ばかり読んでいたら、少女漫画が読めなくなってしまった。
ある有名な少女漫画に手を出したが、何がなにやらさっぱり分からない。
登場人物の顔の見分けがつかない。
最近はもっぱら「モーニング」(島耕作が載っている雑誌です)等、おじさま向けの漫画ばかり読んでいる。
そんなリアルな現実(夢もリアル)を気力たっぷりに生きていくため、今日は整体に行ってきた。
数日前に扇風機も購入。
マイナスイオンが出る代物です。
これでたっぷり癒されるはず・・・