エコノミカル・パレス

 私は「本の虫」だ。
 出かけるときかばんの中に本が入っていないといらいらする。
 常に「勉強用」と「癒し用」の本が入っている。
 「勉強用」とは、学生時代は文字通り学校の勉強に関係する本、または必要にかられて読む本で、「癒し用」は趣味で読む本や漫画のことだ。
 今ならさしずめ「勉強用」は「ジュリアス・シーザー」もしくは、関係する本だろうか。
 疲れたときはよく「癒し用」の本に手を出す。
 
 今日はその「癒し用」の一冊を読了した。
 角田光代さんの「エコノミカル・パレス」という本だ。
 角田光代さんは「対岸の彼女」という作品で2005年に直木賞を取り、また「空中庭園」という作品は映画化されている。
 今まさに旬の女性作家だ。
 
 主人公は34歳の「私」。ライター(本人曰く雑文書き)をしながら、食堂でアルバイトをしている。
 ヤスオという男と同棲しているが、どう考えても自分の入れる生活費の方が多い。
 「私」はそのことを言い出せずにいる。
 やがて、ヤスオは仕事をやめるが「タマシイのない仕事はしたくない」となかなか次の仕事を捜そうとしない。
 「私」は毎日、生活費のことばかり考えて苦悩している。

 鬱々たる日々を送る中、見知らぬ若者から「テキ電」(適当な番号に電話してうまくいけば相手とデートにこぎつけたりする)がかかってくる。
 「私」は、何か新しい予感を感じ、服を新調していそいそと得体の知れない二十歳の若者に会いに行く。
 「私」は若者をホテルに誘うが、彼はまったく応じない。



 読んでいくうちに、「お金」や「若くない自分」に苦悩する主人公の姿が自分と重なり、薄ら寒い思いがした。
 特に主人公が鏡で下着だけつけて自分の姿を眺める場面には、自分の姿が重なり、ぞっとした。
「胸の下からパンツのゴム部分にかけての胴部分にくびれがまったくなく、布地をまとったように肉がだぶつき、長いこと陽の光にさらしていないために不自然なくらい白い。」
 以下延々と自虐的な描写が続く。
 
 やがて、「私」はスナックでも働くようになる。中年男に体を触られまくり、不快極まりない思いをする。
 しかし、「さわり代」としてお金をせしめると不快な気持ちがどうでもよくなる。
 
 物語は終盤にかけてどんどん救いようがなくなる。
 若者にはあることで激怒され、スナックの上客には卑猥な写真を見せられ、近所の浮浪者が札束を振り込んでいる姿を見てそれを奪いたい衝動にかられる。
 
 人間の、特に女性の持つ「醜い」、「嫌な」感情に、真正面から向き合い、あまさず描写されている部分に目が離せなかった。
 
 「素晴らしい行為」「立派な人物」よりも、「こうも愚かしい人間」というものにどうしようもなくひかれるものを感じた。