彼と別れる

 驚いた。
 こんな馬鹿な別れ方があるだろうか。
 まさか、こんなことで・・・

 こんな馬鹿みたいな別れ方をしなければからなかったのも、私達がそれだけのつきあい方しかしてなかったのだろう。
 
 しかし、世の中は決して、互いに相手を思いやり、真剣に向き合い、慈しみあうような愛ばかりではない。
 そればかりでも、つまらないだろう。
 
 私は自分の愚かな生き方に真剣にむきあい、今日あったこと、今までのことをなるべく正確に事実に即して書いていきたいと思う。
 当事者にたまたま居合わせた方々はもし、ごまかしがあると思ったら遠慮なく指摘してほしい。

  
 
 今日、ある演劇を観にいった。
 一人で行ったのだが、本当に偶然、劇団の師匠彩乃木さん、と先輩の日野さん、そして同期生のけんもっちゃんがいた。
 この「偶然」が私の運命を分けることになった。


 せっかくなので、4人で飲みにいこうということになった。
 そこで私の彼氏の話になった。
 前々から師匠の彩乃木さんには、「別れろ」と言われていた。
 理由はいろいろあるが、何よりも彩乃木先生は私が彼を愛していないこと、そして、彼も私を愛していないことを的確に見抜いていた。
  
 彼が私に告白したことでつきあいが始まった。
 私は失恋したてで、正直、自分の寂しさを埋めたかった。
 確かに、そのときは彼を愛していたわけではない。
 はっきり言えば、彼を利用した。
 非難されても仕方が無い。


 しかし、彼は優しかった。
 落ち込んでいたら慰めてくれた。
 すぐに、いっぱいいっぱいになる私に「もっと楽に生きていいんだよ」と教えてくれた。 
 一緒にいるととても居心地がよかった。

 だんだん、私は彼に対して「情熱的な愛」「激しい気持ち」を持てない自分にいらだちを感じていた。
 そして、彼に対する申し訳なさで常に引け目に感じていた。
 彼はこんなに自分を愛してくれるのに、私は愛せない・・・

 母は「情熱的なばかりが愛じゃない」と言った。
 そうかもしれない、と私は思った。
 自分の求めている愛は幻想なのかもしれない、と。
 静かで、穏やかな気持ちで彼を愛せるようになるかもしれない。

 彼も、私の中途半端な気持ちはよく理解してくれていた。
 「ゆっくりでいいよ」「早く結論を出さないでいいから」
 と言ってくれた。
 私はただただ、彼の優しさに甘えた。
 
 
 そんなゆったりと小船に揺られているような形で自分は、少しずつ彼を愛し、理解してきた。
 そんなつもりでいた。

 しかし、私自身の環境が大きく変化した。
 「演劇」を求めてASCという劇団に入った。
 全てが真剣勝負だ。ごまかしはきかない。
 穏やかな小船に揺られているわけにはいかない。
 高速ジェットで船を運転しても、まだ間に合わないと言われる。

 「彼と別れなさい」
 彩乃木先生に言われたとき、私は揺れた。
 私の彼に対する愛は、所詮、師匠に言われて揺れるような感情だったのだ。
 彩乃木先生は私たちの愛情に対する疑問、そして、彼の俳優としての生き様に対する疑問をあげた。
 しかし、もっとも重要なのは私が「揺れた」ことではないだろうか。
 だが、私はせっかく自分が彼を愛そうと積み上げてきたものを、あっさり壊されるのには抵抗した。
 真剣に彼と話し合えば、なんとかなる。
 そう、信じていた。


 さて、彼と向き合う日、
 「実は私たちのことを彩乃木先生が反対しているんだ」
 と、彼に言った。
 「なんだか、彩乃木さんって君のお父さんみたいだね」
 と、彼は笑った。
 そこで、うやむやにしてしまったことを、私は今、大変後悔している。
 だが、私はこのとき、まだ、彼との穏やかで居心地の良い日々を続けたかった。

 

 さて、今日の飲み会に戻る。
「今から彼を呼んで来い」
 彩乃木先生は、飲みながら言う。
「ええ?、本当に彼来ちゃいますよ」
 現在、舞台の本番中で、さすがにそれはかわいそうだと思った。
 しかし、自分が忙しい時ほど男の真価が問われるんだ、と先生はとりあわない。
 仕方なく私は、「来て、今、大山にいるの。来て欲しい。」とメールを送る。
 何度か彼から電話が来るが、彩乃木氏の命令により、あえてとらない。
 「今、どこ?」
 とふぬけたメールが来る。
「大山」だと送る。
 留守電によると、どうやら、それが分からないらしい。
 仕方が無いので、東武東上線というヒントを与える。
 わけがあって、今電話には出られない。
 自分も電話できない。
 とにかく「大山」を調べて、来て欲しい、と送る。
 

 明らかに非常事態だ。
 彼はものすごく心配しているのではないかと、私は彼がかわいそうになった。
 今、どこにいるのだろう。
 慌てふためいて、電車に乗っているのか。
 本番中の彼をいくら命令だからといって遊ぶのは気の毒だ。
 そんなことを考えていた。
 
 「早く」と送る。
 すると、「何時までそこにいるの?」とやはり、ふぬけたメールが・・・
 「もういい」
 私はそう送った。
 すると、「もう、どうしたらいいのかわからないよ」
 とメールが・・・
 どうしたらいいかって・・・

 確かに、私は実際に誘拐されたわけでも、災害にあっているわけでもない。
 しかし、劇団の師匠により、彼を試されている。
 これは、遊びではなく、真剣な非常事態だ。
 祈るような気持ちで彼を待つ。
 ここまでのことになるとは思わなかった。
 お願い。ただ、来てくれさえすればいいんだから。
 
 しかし、師匠は冷徹に命令を下す。
「さようなら、と送れ」
 私は抵抗する。 
 だが、そう送ったら今度こそ来てくれるかもしれない。
 思い直して「さようなら」と送信。

 しかし、私の祈りもむなしく、
「さようならって?」
「どうして何も言ってくれないの?」
 と雲をつかむような返事。
 私は叫ぶ。
「ちょっとは考えろよおおお!!!!」

 不毛なやりとりがしばらく続き、
 でも、もしかしたら近くまで来てるかもしれないと思い、
「今どこ?」
 と私はメール。
 すると「家にいるよ」
 と信じられない返信が・・・

 しばらくまた、不毛なメールをやりとりした後、
 ついに彼から
「もういい
 さようなら

 どうか、お元気で」


こんなメールが。

 
 はああ?
 こんなことで終わりなの?
 今までの8ヶ月はいったいなんだったの?

「今までありがとう」
 と送ると、
「ごめんね」
という返事。

 「ごめんね」
 この言葉を聞いたのは初めてではない気がする。
 ごめんね、と言われるたび、私は何もかもうやむやにしてきた。

 しかし、しかし、しかし、 
 こんなことで普通、カップルは別れるものか?!
 
 なんだか、彼を試したようなことをしたのには罪悪感を覚える。
 しかし、こんな馬鹿馬鹿しいことで終わるのなら、遅かれ早かれ終わっていただろう。
 
 家に帰ったら彼がいるかと思っていた。(合鍵を渡している) 
 「説明しろ」
 と、怒られると思った。 
 しかし、家に帰っても誰もいなかった。
 電話もメールも来ない。

 え?え?え?
 本当に、本当に終わったの?
 正直、全然実感がない。
 一言も言葉を交わさずに???

 せめて、説明したい。
 でも、さようならとお互い言ってしまった。
 これで終わり???

 ものすごく混乱している。

 最初から「酔っ払いのからかい」だと思っていたから彼は来なかったの?
 最初はそうかもしれないが、途中から明らかに非常事態になった。
 なぜ、それに気づいてくれない?

 そんなわけで・・・
 彼と別れました。
 なんだか、まだ、信じられませんが。
 呆然として、涙さえ出ません。