合宿の後
合宿の感想を書くといってなかなか書けなかった。
なぜかと言うと、本当に素晴らしかった夏合宿から私はどんどん悪くなっていったからだ。
とにかく通常レッスンはまるで駄目。
レッスンのためだけに発表する作品をまず書いたのだが、それが驚くほどつまらない。
ただし、これだけは自信があるが、今までのどんな時よりも、もしかしたら、本番前よりも(これは問題か)レッスンの課題にたいしては真剣に取り組んできた。
この作品も恐らく公演発表をした「アンダンテ」よりも苦労し悩み苦しんだ。
発表の準備も、心を砕き、前々日、前の日はほとんど寝ないで苦しんだ。
結果、もう、やらないほうが良かったのではないかというくらいひどい発表だった。
第二稿はさらに改悪し、第三稿にいたっては目も当てられないくらいひどいものができた。
それを、せっかく日野さんが素晴らしい作品に直してくれたのにも関わらず、それをまた改悪して発表する始末。
日野さんがクリーンヒットだとすれば、私は空振り三振でさらにバッドを振りすぎて転び、骨折したくらいひどい。
それでも、できたときは「素晴らしい」と思い、発表の準備もこれでいける!と思うくらいやった・・・いや、それは嘘だ。
どこか「ごまかし」があった感は否めない。
なぜなら、作品を作るときも、発表の準備もただ苦しいだけだったので、もうこのあたりで勘弁して欲しいという気持ちがあったのが正直な感想だ。
自分に芝居に携わっていける唯一の能力が「文章力」だと思っていたのに、それすら皆無、いやマイナスであることが如実に現われた。
「時間をかければ良いものができる」
「苦労したほど良くなる」
というのはまったくの嘘である、と肩を落とした。
そこで終わるかと思いきや、奇跡が起きた。
ある言葉をきっかけに即興で作った発表が、「今までで一番いい」と評価されたのだ。
たいして苦労して作ってないほうが「良い」とは・・・
しかし、その発表をきっかけに自分の本質が実に「最低な人間」であることが思い知らされたのだ。
「人の思いやりをまったくの無駄にする」「自分の世界しか愛せない」「向上心がゼロである」「信念がまったくない」実に嫌な人間であることが分った。
しかも、このことは今までつきあってきた人、そして、今現在、私と関わっている人は皆、知っていたのである。
知っていて私と接してくれていたのだ。
最近、自分から人が離れていくことを如実に実感し始めていた。
出なかったとはいえ、前回の公演のチケットがまったく売れなかったのがいい証拠だ。
こんな人間からチケットは買いたくないだろう。
それでも、買ってくれた人もいる。
そして、今現在、私と関わってくれている人もいる。
ただただ、ありがたいと思うと同時に、謝罪の気持ちでいっぱいだ。
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20080922/p1の、代表のブログにもあるように、今、自分の本質を知って落胆したというよりも、すっきりしているが正直な気持ちだ。
こんなひどい人間だったんだ、という、発見。
これを直していくには、そして、今までつきあってくれた人、そして、今現在つきあってくれている人に、謝罪と感謝を示すのは、自分が変わるしかない。