読書は人生を豊かにするのか?
「ジェイン・オーティンの読書会」という映画を観る。
私自身、ジェイン・オースティンは未読。
もちろん、読んでいたらもっと楽しめるが、知らない人間にも十分に面白い映画だった。
「読書会」というとなんだか知的でハイソな集いに響くが、もっと気軽でざっくばらんなお茶会のような感じ。
場所や料理にも凝りなかなか楽しそうだった。
ちょっとやってみたくなる。
一ヶ月に一度、6人の登場人物が集い、ジェイン・オースティンの長編作品について語り合う。
小難しい意見もあるが、大概は「この人が好き」「この結婚は分らない」などなど気軽なものが多い。
中にはびっくりするような珍解釈も飛び出す。
読書がなければ、絶対に話すことのない人間同士がそれぞれ絆を深めていく過程は感動的だ。
私自身、読書は好きだ。
子供の頃、足が悪かったので友達と外で遊ぶことができなかった。
そのときに、私に与えられたのは本だった。
それ以来、私は本にはまり、小学校の休み時間にも読書をしていたので、外で遊ばない問題児として扱われたこともある。
しかし、頭で経験したことと、現実に経験することはあまりにも違いすぎる。
なまじっか知識だけは持っているので頭でっかちになりがちだ。
何でもわかっているような顔をする嫌な人間になってしまったのではないかとさえ思う。
そもそも、読書は「読書会」というような特殊な機会でもないかぎり他人と接することのない趣味だ。
ますます内にこもり、「おたく」になってしまう。
読書は人生を豊かにする、という言葉は本当だろうか?なんて考えたりもする。
映画では「読書会」を通じて仲間との交流で、確かに登場人物は豊かな人生を歩んでいる。
また、登場人物の一人は夫にある作品を読ませることで夫婦の絆を取り戻す。
私の場合、本を通じての交流といえば、好きな男性が愛読していたのが封建的な女性のあり方を求める本だったのでがっかりしたことを思い出す。
読書は価値観の違いを如実に表すものだ。
映画のそれぞれの登場人物が図書館やベッドなど様々な違う場所で本を読む場面がとてもいい。
違う人生、違う思想を持ちながらも同じ作品を読んでいる姿がとてもいい。
がっかりすることもあるが、やっぱり読書はいいなと見終わった後には思った。