シェイクスピアに会いたくて

 実は、もっと早く書きたかったのですが、私のパソコンの調子が悪く様々なことを試してもログインできなかったのでブログが書けませんでした。
 日野さんの協力を得てこうして3月25日から4月2日までの長い長いイギリスの旅の経過をアップさせることができた次第でございます。
 このたび、東京都立大学教授で「本当はこわいシェイクスピア」を著された本橋哲也先生とイギリスに行って、一緒に本場のシェイクスピア芝居を観よう!というような企画に参加させていただきました。
 本当はツアーの参加者は事前に本橋先生の講座でシェイクスピアについての講義を受けている方々ばかりなのですが・・・特別に参加させていただきました。
 ツアーの方々はみなさん、原文で勉強されたりしている方々ばかりで、お話をさせていただいて本当に勉強になりました。年配の方が多かったのですが、いくつになってもなお、という向学心溢れる方々に囲まれて幸せな日々でした。
 なんだか、芝居の感想を書くのは「この人アカデミックシェイクスピアカンパニーの人なのにあまり勉強していないのね」と思われそうで心苦しい限りです。
 しかし、かっこつけでも仕方がないので思ったままに書き記そうと思います。

 「イギリスまでの道のり」
 大体こんな時期にイギリスに行くなんて正気の沙汰ではない。
 しかも合宿と日程がきれいに重なっている。
 次回上演「オセロー」の稽古真っ只中、夏の自主公演(しかも自分の書いた台本)の準備もちゃくちゃくと進んでいる。
 そんな日本を十日間も留守にするとは・・・
 言い訳をさせてもらえば、私がイギリスに行こうと決めた一月には合宿の予定などなかった。
 ASCも春休みという予定になっていた。
 そして、私が台本を書くという予定なんてこれっぽちもなかった。
 
 イギリスという国には、以前から大変興味を持っていた。
 シェイクスピアの生誕地であるのはもちろんのこと、あこがれのシャーロックホームズ様、ロンドンミュージカル・・・そして、「イギリスはおいしい」という何年か前に話題になった林望さんの書かれたエッセイも私のあこがれを膨張させていた。
 スコーンやサンドイッチが三段に積まれた「アフタヌーンティー」、魚のフライとポテトフライが新聞紙に包まった「フィッシュアンドチップス」・・・
 こういった食事は、今でこそ日本でも割りと簡単に食べられるが、エッセイの当時では私には大変目新しく新鮮なものに映った。
 一般にイギリスの食事はおいしくないと言われているが、この本のおかげでイギリスの食事というものには私は大きなあこがれを抱いていた。

 このツアーの話が彩乃木先生からもたらされたとき、多分、私はこの機会を逃したら二度とイギリスにいや、海外に行けないだろうと思った。
 どんなときでも、できない理由は山ほどある。お金がない、時間がない、忙しい・・・
 生きていれば当然だ。皆なんらかのしがらみを抱えている。
 しかし、この機会はどんなしがらみをも乗り越え、なんとしてでも掴みたいと思った。

 何しろ本場RSCのシェイクスピアの芝居を観て、さらにロンドンでミュージカルを観る。
 まるで、シェイクスピアの芝居を勉強してミュージカルが大好きな、私のために用意されたような企画である。
 もう、これは行くしかない。
 準備は万全にしようと思った。
 英会話も勉強して、「ヴェニスの商人」「リア王」「コリオレイナス」もできる限り読み込みたい・・・映画も観て解説本も読んで・・・イギリスの歴史も調べ・・・もちろんガイドブックも読んで・・・
 しかし、まさか別のことで(主に自分の台本)でこんなに忙しくなるとは・・・
 三冊とも精読するので精一杯。行く寸前に、ようやくアルパチーノの映画「ヴェニスの商人」を観られた。蜷川演出の「コリオレイナス」が観られたのも大きかった。
 「イギリスの歴史」という本は、結局古代遺跡のストーンヘンジのところまでしか読めなかった。先は長い。
 英語なんて・・・
 海外に行ったことのある人の「フィーリングで通じる」という言葉を信じることにした。
 あまりの準備不足のため不安でいっぱいだった。
 外国に行くのは初めてだ。
 しかも、ツアーの人たちは知らない人々ばかり。
 一度だけ説明会で顔を合わせたが、年配の方ばかりだった。
 観劇するシェイクスピアもちゃんと読み込めてない。
 一緒に行く本橋先生に何か聞かれたらどうしよう。
 
 とにかく、当日、件の台本第6稿を仕上げてから成田に向かう。
 まるで偉い作家みたいだ。
 そんなわけでほとんど寝てない。
 飛行機になんと十三時間も乗る。
 そんなに長いこと飛行機に乗ったことがない。
 ものすごく暇になったらどうしようと思い、たくさんCDを詰めていった。本は機体が揺れるから読めないだろうと思ったからだ。
 しかし、その心配は杞憂に終わった。
 乗り物酔いを止める薬に、相当の睡眠作用が含まれていたらしい。 
 機内ではほとんど寝てしまった。
 隣にツアー参加者のご夫人がおられた。
 少し話しをするとなんと以前彩乃木先生がブログで取り上げた「シェイクスピアの森通信」に「メジャーフォーメジャー」を「今年観たシェイクスピア作品」(だったかな)で1番にあげられたあの新納(にいろ)たも子さんではないか。
 その方にこうしてお会いできるとは・・・
 もう、七度ほどツアーに参加されていると言う。
 あらゆる意味で大先輩だ。
 この方にはツアー中、様々なアドバイスを頂きお世話になった。
 最初のアドバイスは「夜に観劇をするから昼間はあまり動き回らないこと」だった。
 後でこの言葉の意味が痛いほど分かる。
 
 途中、機内で映画を観る。「シャイロットの贈り物」だったかしら。
 豚と蜘蛛が仲良くなる話だ。
 これがまたすこぶるおもしろくない。
 結局、また寝てしまう。
 機内食が届いて無理やり起こされる。
 ハンバーグのようなものが運ばれてくる。
 それにしても、隣の新納さんはドリンクが来るたびにワインを注文されていた。
 こんな揺れる機内で、アルコールなんて・・・すごい・・・
 
 二度ほど機内食を食べようやくイギリスに着く。
 ロンドンから貸し切りバスで2時間、シェイクスピアの生誕地、ストラトフォード・アポン・エイヴォンに到着する。
 日本時間を見ると夜中の3時半である。へろへろだ。
 しかし、こちらでは18時半、時差が約8時間だ。
 みなさん、しかしお元気でバスの中でもおしゃべりに余念がない。
 私はぐっすり寝てました。
 ホテルはなんとロイヤル・シェイクスピア劇場の目の前だ。
 良いホテルなんですが、エレベーターがない。
 スーツケースをうんうん言いながら階段を登って部屋まで運び込み、もうばたんキュー・・・
 以前のツアーでは、なんと着いたその日に「ハムレット」を観たという。
 すごい体力だ。
 とにかく、そんなわけで私のイギリスの日々が始まった。


「観劇・・・ヴェニスの商人
 最初は「ヴェニスの商人」を観る。
 ロイヤル・シェイクスピア劇場は三つの劇場がある。
 本拠のロイヤル・シェイクスピア劇場と非常に隣接した場所(というかつながっている)にスワン劇場、そして、少し離れたところにコートヤード劇場というのがある。
 「ヴェニスの商人」はスワン劇場で行われた。この劇場は3つの中では最も小規模。何とチケット代は10ポンド。イギリスの感覚だと1000円くらいだろうか。(お金の話は後で触れるが、日本円で一ポンドがだいたい240円くらい)国がしっかり補助金を出しているので大変安くで芝居が観られるということだ。
 舞台が前にでっぱっていて三方向から見られるようになっている。
 二階席の上手側から観る。
 舞台装置は正面に三台のパソコンとその上のテレビモニター。

  この時点でなんとなく想像がつくが、「ヴェニスの商人」の世界が全て現代に置き換えられている。
 まず登場するアントーニオ他の登場人物がサラリーマンのスーツ姿。
 当たり前だが、日本語字幕がない。
 英語のみで芝居を観るのは初めてだ。
 「ヴェニスの商人」はもちろんストーリーは知っているが、細部の台詞まで覚えていない。どういうことを言っているのか一生懸命聞き取って見ようとする。
これは思いのほか神経を使った。ない脳みそとない英語力と断片的に覚えている「ヴェニスの商人」の台詞を思い出すのに頭をフル稼働。はっきり言って芝居が終わるとくたくたでおかげで夜はぐっすり眠れた。また、言葉が分からないところで他の人が笑っていたりするのはどうしようもなくストレスを感じた。
 しかし、この芝居は喜劇ゆえに分かりやすく楽しい作りになっていたので観やすかった。
 時代が現代(というか近未来か?)になっていても「ヴェニスの商人」の世界はまったく失っていなかったように感じられた。
 ポーシャの求婚者は三つの箱ならぬ三つのコンピューターの画像の中から選ぶ。
 上のモニターに骸骨などの画像が出てくる。
モニターの画像は他のときは海になったり、秤になったり・・・
 箱選びの場面では、ポーシャとネリッサ、そして、なぜか召使のバルサザーがいつも登場する。
 彼は誰がどう見てもゲイ。なぜかこの人がいつも細かい演技をして笑いを誘う。台本を読んだときはほとんど印象がなかったが・・・
 シャイロック役のマーレイ・エイブラハムさんは、なんと「アマデウス」のサリエリ役でアカデミー賞を取った人だ。
 この人とアントニオ役のTom Nelisさんがベテランらしく全体を引き締めていた。
 最後の裁判は言葉が分からなくとも迫力と見ごたえがあった。でも、このときはちゃんと旧式の秤が出てくるんですね。
 シャイロックもアントニオも二人とも裁判の最後は負けたような顔をしていたのが印象的。
 そして、今日はスペシャルでアフタートークがあった。さすが、タイムアップぎりぎりまで皆、積極的に質問をする。
 しかし、これは英語の分からない私にはなにを聞いてなにを答えているのやら、さっぱり分からない。本橋先生いわく、別にたいしたことは言ってないそうだ。
 それにしても、本橋先生に「ヴェニスの商人」についてまあ、たいしたことではないが、ちょっと疑問に思ったことを聞くと、この作品における人種差別観など聞いてもいないことを延々10分くらい語られ、最後は「私の「本当はこわいシェイクスピア」を読んでくれ、そこに全部書いてあるから」と言われた。
 なんというかエネルギッシュな方だった。
ヴェニスの商人」の出演者は、なんとわれわれのツアーと同じホテルに宿泊していた。
 おかげで、シャイロックとポーシャのサインがもらえた。
 なんともかわいらしいポーシャを演じられていたKate Forbesさんはなんと二児のお母さん。
 ツアーの中には出演者と演出の人のほとんどのサインをもらったつわものもいた。
 ある参加者は、なんと「バッサーニオ(役の人)に荷物を運んでもらった」と繰り返し話していた。
 私も朝、ホテルの廊下でさわやかな笑顔のハンサムに「おはようございます」と日本語であいさつをされたので、私も上機嫌で返した。
 後で、あ、アントーニオだ!と気づいた。
 本橋先生によると彼らは自分のことをスターと思っていないのでものすごく気さくに声をかけてくれるという。
 英語のできる参加者の中には出演者と結構しゃべった人もいる。
 ああ、もっと勉強してから来ればよかった。


リア王
 二日目は「リア王」。本橋先生はこれは絶対素晴らしいから、ということでツアー中、二回観る日程になっている。
 朝は、本橋先生が案内するストラットフォードの町だったが、早めに切り上げられて、「とにかく今日は「リア王」を観ることだけに集中してください、と言われる。
 リア王役は本橋先生いわく今、世界でもっとも素晴らしいシェイクスピア俳優のイアン・マッケラン
 「ロード・オブ・ザ・リング」などの映画でも世界的に有名だ。
 
 これはコートヤード劇場で行われた。
 ここも客席のほうにでっぱった三方向から囲むように観られる舞台になっていたが、なんとわれわれ日本人ツアー観光客は下手側まん前、相撲でいう「砂かぶり席」だった。
 こんな前で!とまず席に度肝を抜かれる。
 また、学校の教室くらいあるような広い広い舞台だ。
 
 そして、はじまってすぐにもう魂を抜かれた。
 まず、荘厳なオルガン曲が鳴り響き、リア王他、臣下たちや娘たちがどっと舞台に登場し一斉にリア王に礼をする。
 この時点でもうやられた。
 その迫力、壮麗さ!
「見よ!これがRSCの底力だ」と言わんばかりの素晴らしさ。
 こっちはもう、まいりましたという以外にない。 
 舞台は背景に多少の装飾はあるもののほとんど何もない空間。
 しかし、衣装は本橋先生いわく、ロシア王朝がモデルのなかなかの豪華でレトロ感がただようものだった。
 特に娘たちの、胸の谷間が強調されるドレスがなんともセクシー。
 もちろん、イアン・マッケランは素晴らしかった。
 二人の娘に残酷な扱いを受け嵐の中で狂気に陥る場面は、なんと彼の演技はしょっちゅう観客の笑いを誘う。
 きわめて悲しく、残酷な場面なのに、なぜか楽しそうなのだ。
 悲しみも究極までいくと、楽しくなるのかもしれない。
 そして、途中、文字通りすっぽんぽんに服を全部脱いで性器をまで見せてしまう。(上半身は少し残していたか)
 後で台本を見ると「人間、衣装を剥ぎ取れば、あわれな二本足の動物にすぎぬ」という台詞の件で(服を脱ごうとする)というト書きがる。
 他の人に聞くとちゃんと英語で(当たり前か)「脱ぎますよ」と注意書きが事前にしてあったらしい。
 ちょっとショックだったが、それほど不自然さは感じなかった。
 リアを歌で慰める道化も、口では辛らつなことを言いながらも、心からリアを思いやっているのが伝わってくる愛情溢れる演技だった。
 これは、台本にはないが、道化が兵士たちに殺されて首をつられ、ぶらさがったまま一幕終わり、休憩となる。
 そんな・・・

 しかし、登場人物の一人一人が本当に素晴らしい。そこに立っているだけで人生が見えてくるかのような圧倒的な迫力があった。
 なんともセクシーな1番上のお姉さん、ゴネリル(フランシス・バーバー)、素晴らしい演技だったのだが、声をつぶしておられたのが大変残念。
 そして、セクシーかつ残忍な次女のリーガン(Monica Dolan)。
 こうして三人姉妹が出てきて、あ、この人は長女だなあ、次女だなあ、と自然に分かるのはなんなんでしょうかねえ。
 大変キュートなコーディーリア(Romola Garai)。
 悪巧みをするエドマンド。(Philip Winchester)
 この人が、もう、ちょっと目の覚めるような美形で、正直みとれてしまった。
 その美貌でいろいろ悪いことを言うのだ。
 しかも最後は、彼を愛したゴネリルとリーガンの二人の死体を見て「やはり、エドマンドは愛されていたのだ」と、心を痛める姿がなんともたまらない。
 こんなことばかり書くと一体イギリスまで行って何を観てきたのだといわれてしまいそうだが・・・
 でも、もうちょっと書かせて。
 エドガー役の(Ben Meijes)さんも良かったんですよ。(エドマンドとそれほど歳の変わらないくらいの若い方だった。通常、もっと年上で演じられることも多いらしい)
 最初はなんの変哲もない勉強好きのあんちゃんだったんですが、エドマンドの計略によってお尋ね者になり気の狂った乞食に変装しリアと出会う、そして、目のつぶされた父に出会い道案内。
 終幕はエドマンドと決闘。だんだんに世界の残酷さを知り変わっていく姿が素晴らしい。まさにだんだんかっこよくなっていく男だった。
 そして、なんと最後の「もっとも年老いたかたがたがもっとも苦しみ耐えられた、若いわれわれにはこれほどの苦しみ、たえてあるまい」の台詞をエドガーが言う。
 悲劇の場合、最後はその場で1番偉い人、この場合だとオールバニ公が最後の台詞を言うのが普通(台本を見ると確かにオールバニが言っている)らしいのですが、オールバニ公はあまりの悲劇に最後まで言えなくなってしまう。
 この上演の中では、エドガーが脇役の中で、1番しどころのある重要な役だったと思われる。
 それにつけても、オールバニ公もケント伯もコーンウォール公グロスター伯もそれぞれかなりの芸暦を積まれたと思われる素晴らしい方々ばかり。
 まさに「リア王」からそのまま出てきたかのような迫力を感じた。
 エドガーの最後の台詞が終わったときの充実感。
 シンプルな舞台、いるのは役者だけ。大仕掛けな舞台装置や派手な演出は何もない。
 しかし、この終わったときの充実感はなんなんだろう・・・・

 本橋先生いわく、この演出をしたトレヴァー・ナンはいつも何かしかけてくる、とのこと。「シェイクスピアはこういうことを言いたかったんだ」というのが彼の演出であらためて分かる(もちろん、はずれはあるけど)と言う。
 演出で1番印象的だったのは、オールバニが「リアとコーディーリアの命を奪えという指令を取り消せ」という場面で「God」と天上の神に呼びかける。
 しかし、その呼びかけに答え、現れたのはコーディーリアの死体を抱いたリアだった。
 なんともいえない絶望感が強調される。

 「神はいない」ということを言いたいのだ、と本橋先生の解説。
 「でもなあ、もっと何かやってるはずなんだよなあ・・・もう一回観るときにみんなでみつけましょう」と先生。
 
 もちろん感動したが、それにつけても、英語が分からないのが本当に悔しかった。
 また、暗記するくらい「リア王」の台詞を読んでいれば、もっといろいろ分かったかもしれない。せめてもと、もう一度観るときのために「リア王」をもう一度丹念に読む。

 二日後に観た二回目はやはり最初よりも「あ、この台詞はこういうことを言っているのだ」ということが大分分かった。そして、確かに二度見る価値のある素晴らしい上演だった。
 他のイギリス人の観客と感じ方を共有したいとこれほど切に願ったことはない。
 やっと、笑いのポイントが分かったりすると、もうそれだけで感動した。多分、日本語で見るときの倍以上の感動があった。
 
 しかも、イアン・マッケラン氏のサインをもらうというおまけまでつく。本橋先生と一緒に楽屋の前で待っていると、出てきて気さくにサインしてくれた。(しかし、待っている人は十人くらいしかいなかった。世界的スターなのに・・・あんまり、ミーハーじゃないのかしら、イギリスの人って)
 本橋先生はなんと彼にインタビューの約束を取り付けようとしていた。
 「君はカメラマンとしてついてきて」と指名を受ける。 
 うわあ、どうしよう・・・
 ああ、英語・・・
 やっぱり、勉強しておくんだったよお・・・
 前の日、大変緊張したが、インタビューは結局イアン氏に「忙しいので」と断わられてしまった。「世界のシェイクスピア俳優に日本のシェイクスピア女優の代表」として質問できたかもしれないのに・・・
 え?断られて良かった?

 二回目を観て本橋先生は、トレヴァー・ナンの演出が分かったとおっしゃった。
 「ポイントは「手紙」なんです」
 とのこと。
 つまり、この上演では「手紙」がかなり重要に扱われている。登場人物たちは文章の書かれた手紙を相当ていねいに扱っている。(ちなみに別の上演のコリオレイナス君は手紙を投げていた)
 神ではなく、結局「人間の書く「手紙」、「文章」が様々な物事を、そして「悲劇」を起こすのだ」というのがトレヴァー・ナンの描きたかったことだ。
 
 まるで、シャーロック・ホームズが真犯人が分かったときのような口調でおっしゃられていた。
 
 「リア王」についてはもっと他にもいろいろ解説されていて、ツアーのほかの方々は英語でシェイクスピアを勉強されたりと、かなり勉強されている方々が何人かいらっしゃったので「なるほど」とうなづかれていた。
 
 「リア王」の世界を知っていれば知っているほどおもしろい上演だったのだと思う。
 私など勉強不足で、様々な解釈に耳を傾けるばかり。
 しかし、異国の言葉もろくに分からぬ日本人がこれほど感銘を受けたのだから、やはりすごい上演だったのだろう。
 「また二日後に観ましょうか」
 と本橋先生が冗談めかしておっしゃっていたが、本当にそうしたかった。
 帰れなくなっちゃう。

コリオレイナス
 「コリオレイナス」は正直言って・・・いろいろ不満の多い舞台だった。
  額縁舞台、つまり普通によくある横長の舞台があって観客はそれを正面から見るタイプ。
 これがまず遠く感じられた。いや、普通なんだけど、前に見た二つの上演が三方から役者を見るタイプだったから・・・しかも「リア王」なんてまん前だったし・・・なんだか映画を観ているような遠さだった。
 座席も座っているとなぜかずるずると滑っていってなんだか居心地が悪い。
 最初はイギリスでRSCの芝居を観るということだけで興奮したのに・・・
 連日の上演にちょっと贅沢になってきているのかしら。
 そして、上演が始まり、主役のコリオレイナス君がなんと声をつぶしていて大変聞き取りづらい。
 ただでさえ英語が分からないのにさらに聞き取りづらくて、どうしよう、と思う。
 そして、立ち位置・・・
 われわれツアー客は前のほうの座席だが、かなり下手側の端のほうだった。
 なぜか主役を兵たちが丸く囲む立ち位置ばかりで、いつも1番端の兵が我々から見て、主役を隠すかのように立っている。
 主役や、主な登場人物がほとんど見えない。
 端に座っているお客様に不親切なミザンス(立ち位置)は一体なんなんだろう!
 そして、これは私の勝手な解釈かもしれないが、コリオレイナス像のイメージがかなり違って見えた。
ポスターのコリオレイナスが男らしく顔から血を流して写っている写真だったので、男らしくなおかつ残忍なコリオレイナスを期待したのだが、出てきたコリオレイナスはなんだかかわいらしいのだ。
もちろん、戦闘場面は古代ローマの重そうな剣で勇猛に戦っていた。
しかし、母のヴォラムニアが出てきた途端、実に分かりやすくめろめろになってしまう。妻に対しては「あ、いたの?」というような冷たい演技。
確かに彼はマザコンだと言われているが、こんなにマザコンを前面に出しているのか?
その他の兵士たちも「わああ・・・」とやる気があるように見せて城門の前に行くといっせいにだれだれになるとか、なんだかコントみたいな演出だった。
 コリオレイナスと宿敵オーフィデアスはホモという解釈もあるようだが、あんなに激しいキスまでするのは・・・
  本橋先生解説によるとちょっと主役をやったウイリアム・ヒューストン氏がいいやつ過ぎるとのこと。
 民衆を憎むコリオレイナスはもっと残忍でなくてはならない。
 しかし、彼は根がいい人なのであまりこの役に向いてないかもしれないといわれていた。
 現地の評判はいいらしいが、ツアー一同、なんだかいろいろ首を傾げてしまう上演だった。 

「ロンドンミュージカル」
 ミュージカルの本場、ロンドンでミュージカルを観るというのは私のあこがれのひとつだった。
 もちろんブロードウエイでも観てみたいが・・・
 「メアリー・ポピンズ」と「サウンド・オブ・ミュージック」を観る。
 なんでまとめて書くかというと「サウンド・オブ・ミュージック」があまりにも素晴らしすぎて「メアリー・ポピンズ」がちょっと飛んでしまったんですよ。
 いや、もちろん「メアリー・ポピンズ」も良かったんですけど・・・
 二つともお城のような豪華な劇場でバルコニー席が五階くらいあり・・・こんな立派な劇場は日本では私は入ったことはありません。
 しかも、日本でも座ったことのないような前のほうの真ん中のいい席で観劇できて・・・
 最初の外国のミュージカル体験がこんなに素晴らしい席で・・・どうしようかと思う。
 「メアリー・ポピンズ」はミュージカルを観るという行為だけで興奮してしまったんですが・・・どちらかといえば内容よりもパフォーマンスで見せる感じの作りでした。
 なんと天井で逆さを向いてタップダンスを踊ったり!
 ハイレベルなダンスの連続で、興奮しきりでしたが・・・
 「サウンド・オブ・ミュージック」はもう歌声と内容が素晴らしい。
 マリアを演じたコニー・フィッシャーさんという方はどうしてこう映画のジュリー・アンドリュースさんとイメージがぴったりで、よくも見つけてきたなという感じ。
 「サウンド・オブ・ミュージック」は世界中の人が映画を観て内容を知っていて、そのことを承知で世界中の観客が来るということをきちんと想定して作られているように思われた。
 そして、ロンドンミュージカルとして、世界の模範として「サウンド・オブ・ミュージック」という作品を示すのだという気概が感じられた。
 いくつか映画と内容を変えている部分もあったが、原作のイメージを損なわず、ああ、そのほうがいいかもとまで思わせるようなものだった。
 一幕終わりの「全ての山に登れ」の修道院長さんの歌声が素晴らしい。
 体がぞくぞくするような声量と内容が感じられ、本当に歌に国境はないなあと改めて実感。
 マリアと子供たちのいくつもの重層的に絡み合うハーモニーはもう、天上の調べのように美しい。
 そして、トラップ大佐の囁くように歌う「エーデルワイス」!
 涙があふれるほど素晴らしかった。
 それにしても、マリアのもう何千回も演じてきたはずなのに、ひとつひとつの動きの新鮮さはどうだろう。
 特に、大佐と初めてキスをした瞬間など・・・もう本当に今初めてのようなみずみずしさ。
 ツアーの中の人が「アメリカで観たときよりもずっと素晴らしい」とおっしゃっていたが、最初にこの上演を見ることができて本当に幸福だったと思う。
 英語の分かる参加者の話しでは、台詞で当時のナチスオーストリアとの関係もかなりていねいに表現されていたとのこと。
 もちろん、子供もたくさん来ていたが大人の鑑賞に堪えうる素晴らしい作品だった。
 
 
「今日は終わり」
 いや、もっとイギリスの食事のことやイギリス人男性とのアヴァンチュールのこと(妄想)などいろいろ書きたいことはあるのですが、あまりにも一気にいろいろ体験しすぎて長くなってしまうので・・・これでも十分長いと思いますが・・・
 こんなに遊んでいて「オセロー」は大丈夫なのかと突っ込まれそうですが、いや、もう十分、イアン・マッケランの演技を見て勉強しトレヴァー・ナンの演出で演出を勉強し・・・
 でも、その間、みんな、寝ないでものすごい芝居合宿をしていたのですね・・・
 どうしよう・・・
 私も寝ないでブログを書きました。これからバイトです。いや、それでは芝居はうまくならないのですが。
 イギリスにいる間はただ歩くのも、買い物するのも、何か食べるのも、ひとつひとつが新鮮で、テレビをつけても英語だというのも驚きでもう、毎日興奮してばかりでした。
 また、ぼちぼちブログに書いていこうと思います。
 なんかもう書いても書いても追いきれないような興奮!
 こんなに興奮した日々はありませんでした。
 イギリスは素晴らしい国です。帰りたくないくらい・・・
 自分がこれくらい興奮できるんだということを知りました。これが芝居に生きることを望みます。