御室の桜とシェイクスピア

 先日、tome8さんにコメントいただいた「御室の桜」についてちょっと調べてみました。
 
 おもしろい本を見つけたので紹介したいと思います。

イケズの構造

イケズの構造

 「イケズの構造」という本です。

 「陰険」でも「嫌味」でもない京都人の「イケズ」
 そんな一言では説明しにくい「イケズ」を本書では分かりやすく紹介されています。

 件の「御室の桜」はかつて、西陣の町で歌われた機織唄の中に出てきました。
 「当唄」(あてうた)要するに当てこすり唄ということで相当強烈なものだったようです。

 難ありのご面相の男衆に
「醍醐もまだじゃに御室がもう咲いた」
(両者とも桜の名所。御室の方が遅咲き。低木であることから、ここでは「鼻(花)が低いの意で使われている)
「ほんに満開じゃ」
「ほんまか。わしには蕾も見えぬぞ」
「船岡さんに登れば見える」
鞍馬山なら霞んで見える」
「大文字さんならお盆にゃ(火が灯って明るくなるから)見える」
 など、さんざんからかって歌われるそうです。
 コツを覚えると反撃できるのですが。

 
 今でも、関東出身の会社員が京都に配属されたとき、
「尻尾でも生えたんかと思たらシャツがズボンのお尻から出てまっせ。犬のまねしたかて、もう可愛らし歳ちゃうにゃから、ちゃっちゃと仕舞いよし」
 などさんざんイケズなことを言われた、などという話がのっています。
 これは言うまでもなく仕事仲間と認められ、愛されているから言われるのであって、駄目だと判断されると「柔らかく、澱みなく、それは上手に無視します」

 これには
「**さんこそ、そのツノ、早く隠してくださいよ。牛と間違えちゃうから」
 などとリターンできると良いと記されています。

 さすがに「御室の桜」なんて言う人はもういないと思いますが、京都で生まれ育ってきた私が「ああ、分かる」と思うのは、やはり「イケズの精神」は未だに根強くあるのではないでしょうか。
 要はコミュニケーションなんですね。
 
 本書では、この精神がシェイクスピアにもつながるのですが。
 それはまた、明日。
 
 それにしても、地元のことを調べていてシェイクスピアにつながるとは!
 うれしい驚きです。